神様いない 助けてくれない

どうしましたか?
何があなたを苦しめ、そのように思わせるのでしょう。
神さまがいるのかいないのか、この問いに答えを出すことはできないかもしれません。
でも一緒に考えてみましょう。
まず、深呼吸
あなたのことは見えないけれど、あなたの呼吸は、今浅くなっているかもしれません。
ちょっと深呼吸をしてみましょう。
深呼吸のやり方はこうです
1. 大きくはいてください。
2. 鼻から気持ちよく吸い込んで、お腹をふくらませます。
3. 吸い切ったら、そのまま1秒だけ止めます。
4. 穏やかに、口からふーっと急がずに長くはき出していきます。
これを、目を閉じて10回ほど繰り返しましょう。
あなたの体とこの世界が、もう一度つながります。
神様はどこに

あなたが想像する神さまは、どんな姿をしていますか?
そしてその神様はどこにいるでしょう。
思い当たる場所を、つぎに一緒に探してみましょう。
日本の神さまは心の中に

日本の神さまは、遠い空の上にいるのではなく、私たちの日常に溶け込んでいます。
花が咲き、雨が降り、稲が実る。
みどり豊かなこの国では、そんな自然の営みそのものが、多くの神さまの現れとされてきました。
自然に感謝し、自然と共に生きる気持ちが、日本人の心に根付いています。
だから日本では神さまがいるとすれば、「心の中にすでにある」と言えるでしょう。
自らの暮らしと自然を重ねることで、私たちのすべては神さまと一体化し、あふれるほどの神々のなかで生きている状態です。
日本の神さまの助けは、言うなればご利益の上乗せタイプ

暖かい気候、放っておいてもぐんぐん育つ植物、よどみを知らず清浄に駆け下るような川。
日本の国の神さまは、そのゆたかな自然の調和をもって、すでに私たちに恵みをもたらしてくれています。
もし、神々にさらなる助けを求めるとして、それを叶えてくれるとしたら、その形は人々の努力や日常生活の延長線上に、「少しだけ力を添えてくれる」ようなものになるでしょう。
たとえば雨乞い。
雨を願えば雨が降ることもあれば、降らないこともある。
でも雨が降らなかったからといって、日本では神さまはいないという発想にはなりません。
この国での伝統的な願いや祈りは「神を信じるか否か」ではなく、「すでにある自然の調和に、身を委ねる」行為そのものだからです。
生き方を問いかけ、導きの存在となる神さま

でも、世界中が日本のように緑豊かな国ばかりではありません。
過酷な環境に生きる人々にとって、神さまは明確な「導き手」となることが多くあります。
導き手は何人もなく、1人であることもよく見られる共通点です。
乾燥した土地、寒冷地、厳しい自然の中では、限られた資源をめぐる争いも起こります。

争いはもとより、新天地への旅には試練がつきものです。
また、戦う「理由」も必要となります。
そこで人々は、どう生きるべきか、どう進むべきかを神に問うようになりました。
神さまは生き延びるための指針を授け、秩序と生存を支える「導く者」としての顔を強く持つようになったのです。
あなたの求める神様のかたちは?
ここまで、日本の神さまと、世界の神さまのかたちについて見てきました。
そうしてみると、今、あなたが心に描いている「助けてくれる神さま」の姿は、どちらかというと、世界の神さまに近いものかもしれません。
導き、答えを示し、苦しみの中で救い上げてくれる、
そんな強く確かな存在。
それはきっと、現代の日本が、かつての自然とともに生きる暮らしから遠ざかり、
経済活動を中心に動く社会へと変わったこととも、関係があるのでしょう。
昔は国全体が農業を中心に生きていましたから、自然の状態こそが大事で、しかも農業を回すために地域は一丸となっていました。
孤独などと言っている間もなく、農作業に駆り出されたはずです。
今は、めいめいが会社に行って、お給料をもらう時代です。
個々のお財布の中身をみたり、会社の人間関係に悩むのが日常となり、一方で今日二か月ぶりに雨が降ってくれたとか、今年は冷夏で作物が心配という視点はなくなりました。
私たちが神様を見失っても、仕方ないのかもしれません。
ここでひとつ、視点を変えてみてください。
あなたにとって神さまの姿は、どのようなものですか?
それはたとえば、長い白髪をたたえ、威厳に満ちた老人の姿ではありませんか?
あるいは、若く美しく、すべてをかなえてくれそうな女神の姿。

不思議だと思いませんか?
多くの人がいるこの世界で、神さまと言えばなぜこのようなイメージが強いのでしょうか?
このイメージは、「力のある男性像」と「好まれる若い女性像」に重なってはいないでしょうか。
「金」「地位」「権力」といったものが重要とされる人間社会。
その世界の中で、若さや美しさこそが女性の価値とされる構図。
私たちが神に願うとき、知らず知らずのうちに、そんな人間社会の「力のかたち」まで一緒に投影してしまっていることが、あるのかもしれません。
完璧でない私たちが思い描く神さまは、やはり完璧でもなく純粋でもない可能性があるのです。

あなたが祈りたい相手はそのような存在でまちがいありませんか?
与えて欲しいと願うものは、それらが象徴する「力」や「位置づけ」であっていますか?
そうであるならそれでいいのです。
でもそうでないなら、この視点はあなたに、自分の心の中を見つめなおすきっかけをくれるでしょう。
一体何に、自分は苦しんでいるのか。
苦しむほどの価値が、それにあるのか?
神さまについて考えるあなたは、神様とは関係なく明日へのヒントを見つけるかもしれません。
あなたこそ、宇宙が何十億年かけてたどりついた唯一の答え

今度は、自分たちのことについて考えてみましょう。
私たちは親から生まれた人間ですが、その源をたどれば、遥か遠い宇宙に行き着きます。
遥か昔、名もなき星が燃え尽き、大爆発で飛び散ったかけらが、果てしない時間と空間を旅して、地球を作り、私たちの体を形づくりました。
私たちの体は星そのもの、宇宙そのもの。
あなたは何十億年もかけて宇宙が導き出した、たったひとつのかけがえのない答えなのです。
疎外されることも、劣ることも、失われることもありません。
神さまは天にいるかもしれないし、いないかもしれない。
だけど、あなたもまた遠い天から来たのです。
「与えられた」はるかな記憶

天から来たあなたは、強くただ一つの答えです。
でもそんなあなたですが、独りでは生きて来れませんでした。
あなたがこの世に生まれたとき、必ず誰かに守られ、与えられてきました。
たとえそれが完璧な愛情でなくても、あなたが泣き声をあげた時、生き延びるために受け入れられました。
わたしたち人間は、生まれ落ちて誰にも守られなければ、絶対に生きていけないようにできているのです。
愛されなかった記憶があっても、「与えられた」という事実だけは決して失われません。
あなたの命が続く限り、あなたはこの世界が「絶望」ばかりでないこと、宇宙の中でこの地球には「与える」者が存在したことの証明者なのです。
あなたがいるだけで、それが伝わるものなのです。
それはこの世界の静かな約束です。
神を問うことは、愛を問う事に等しいかもしれません。
その答えはでなくても、約束は今も変わらぬままです。
与える者として生きる

人はただいるだけで、まわりに幸福を「与える」力を持たされています。
あなたはまた、「与える者」としても生きているのです。
たとえば道を聞かれ、答えた。
子犬を撫で、犬は嬉しそうにしっぽを振った。
そんな些細な出来事でも、あなたは確かに誰かの喜びとなり、希望となったのです。
それは目立たないかもしれませんが、あなたの存在が確かに誰かの心に光をもたらした瞬間です。
この世界は、あなたのような与える存在に支えられているのです。
想像してください。
もしこの地球にいるのが、道を聞いても振り向いてもくれず、かわいい子犬を見ても愛しむような心など全く持っていないような存在ばかりだったら、私たちは陽光の下に、今のように安心して生きていられるでしょうか?
あなたこそは誰かの喜びの種であり、救いの力です。
わたしたちは光でつなぐ存在、一人も欠かすことができない

そうやって当たり前のように、誰かのためにしてあげたこと。
それは一瞬で消えるとしても、小さな「光」となってこの世界の一隅を照らしました。
直接相手を知らなくても、あなたの関わる仕事で、めぐりめぐって誰かが笑顔になることもあるでしょう。
時には見えないところで、時には気づかぬままに、私たちは光で照らし合っています。
世界的に偉人とされる人々も、同じです。
たとえば、
フィンセント・ファン・ゴッホを知っていますか?
生きている間に認められず、孤独のうちにこの世を去った画家です。でも彼の残した絵画は、今も人々に感動を与え続けています。
安藤百福(あんどう ももふく)を知れば、食卓の上のインスタント麺を、愛情のないものと決めつけるわけにはいかなくなります。彼は手軽なラーメンを発明し、戦後多くの人の命を支えました。
科学の父と称されるガリレオ・ガリレイ。大先生として君臨していた人だと思いますか?いいえ、そうではありません。科学の扉を開いた彼は、当時異端とされたり、一生を順風満帆に過ごしたわけではないのです。
輝かしい業績を残した偉人達も、生きている時には自分の放つ光に気づかず、神に問いを投げかけたでしょう。そして最後の最後まで、その答えはでなかったかもしれないのです。

今私たちは、彼らが遺した光を受けとめ、その輝きを知っています。
言い換えれば、彼ら彼女らの輝きに気づけるのは私たちだけなのです。
人はみな、反射し合う光の中にいると言えます。
この光の道には、いなくてよい存在などありません。
光の絆にはあなたが不可欠で、あなたの心が痛みで研ぎすまされていく程に、光の方であなたを求めるでしょう。
神様いない 助けてくれない

もう一度深呼吸しましょう。
神様がいるか、いないか、
助けはあるか、ないか。
その答えは、キーボードの「検索」の中にはないのです。
仮に答える人がいたとしても、最後に信じるかどうかを決めるのは、あなただけです。
さあ目を閉じて、深く息を吸い込みましょう。
神様がいるかどうか、それは旅をしながらこの先探し続けるもの。
そして、もしもいつか
あなたがその答えに出会えたなら、
その時はどうぞ、私にもそっと教えてください。
参考資料
宇宙図、人間の材料はどこから来たのか?,国立天文台
千田肇個展,宮永岳彦記念美術館,2024
安藤百福クロニクル,日清食品グループ
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