南無阿弥陀仏の意味:あなたの“推し仏”は誰?4つの『南無』を現代語訳!

”なんまいだー”って何なんだー!?
「南無阿弥陀仏」(なむ あみだぶつ)この言葉を知っていますか?
一体どういう意味なんでしょ。
お仏壇やお墓の前で言うイメージがあるけど、お経なのかな?
そうですね、これは仏教の言葉なので、そのイメージは正解。
じゃあ”ナンミョーホーレンゲーキョー”は?
これも聞いたことがありますよね。じゃあ”なんまいだー”に続けていっぺんに唱えちゃう?
おっと、それはダメ!
実はこれらは、それぞれに意味があって、唱える状況が同じではないんですよ。
お仏壇の前で唱えれば、どれでもいいというものではないそうなんです。
「えー、どうでも良くね?同じじゃん」というあなた、わかります。ブログ管理人もなかなかこの難しい言葉の意味がはっきりわかりませんから。
それでちょっと調べてみたら、どうも「南無」って、“強く信じて大切に思ってる”って意味らしいんです。
今風に言ってみれば「推し」とか「萌え」に近い感覚みたい。

同じアイドルグループだからと、推し活で間違った子の名前を呼ぶなんてありえないですよね?それと同じで、南無の使い方を混同するのは、”れに”ちゃんに向けて、”かなこ”ちゃーんて叫ぶに等しいそう。
それは…大変。
この記事ではあなたもわたしも、うっかりこんなミスを犯さないように、南無の違いを確認し、より分かり易いような現代口語訳を考えます。
「南無○○」は1つじゃない!間違えると”推し”違いに!

まずこの南無という言葉ですが、これはサンスクリット語で「帰依する」で、心から信じ、大切に思うという意味だそうです。
南無のうしろに大切にするものを続けて呼ぶことで、「何々を大切に思う」となります。
ナムアミダブツ以外にも、ナムカンゼオンボサツ、ナムシャカム二ブツなど色々あり、この南無に続く部分の違いが、大切によびかけるものの違いになります。
「南無阿弥陀仏」なら、「南無」+「阿弥陀さま」→私はアミダ様推し
「南無妙法蓮華経」なら、「南無」+「すばらしい」+「蓮華経」→私はレンゲ経推し
↑こんな感じです。
ねっ、全然違うでしょ?
奥深すぎる仏教の世界

「いや仏教とアイドルグループは違うでしょ。同じ仏教なのに、ばらばらのものを「推す」意味がわかんない、だいたい仏さまって一人じゃないの?ほら、あの鎌倉にいるあれでしょ。」
そう思ったあなた、ナイス疑問です。
たとえばキリスト教は「唯一神(神様は1人)」というスタイルですが、仏教はちょっと違って、調べてみると「いろんな仏さまや菩薩さま」が登場してきます。これが仏教の自由さ・奥深さなんです。

いろんなキャラがいていろんなお経を出してる、この奥深さがあるから、自分はこれ「推し」とか、あの子に「萌え」がぴったりなんですよ。
四つのナム
ではここから、よく聞かれる四つの南無について、何が”推さ”れているのか、どのような特性で”萌え”となっているのか、もう少し具体的に見てみましょう。
1.南無阿弥陀仏(なむ あみだぶつ)

「なむあみだぶつ」は、主に浄土宗・浄土真宗などで唱えられます。
浄土系は、日本でいちばん信者が多く、「なむあみだぶつ」に聞きなじみがあるのも納得。もしかして、あなたのお家も浄土系なのかもしれません。
「南無」+「阿弥陀如来」なので、阿弥陀さま推し。つまり阿弥陀様に信頼を寄せる信仰スタイルです。
アミダ様は、宇宙スケールのスーパー仏さま。
歴史上にいた人物ではなく、経典の中に登場する理想の存在です。
「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、誰でも極楽浄土へGO!
これってすごいことですよね!?
努力しなくても救ってくれる、全肯定の優しい仏さまなので、絶大な人気があるのもうなずけます。
2.南無妙法蓮華経(なむ みょうほう れんげきょう)

「南無」+「妙法蓮華経」で、こちらは、法華経というお経を第一に信じるスタイルです。
唱えているのは主に日蓮宗系の方たちとなります。
さっきは阿弥陀様という理想の“ほとけさま”を中心に据えていましたが、こちらは仏教の”教え”に心を向けています。
平たく言うと「アーティスト本人もいいけど、やっぱ曲(=教え)に感動しなきゃ!」という感じのようです。
「妙法蓮華経」は、「すべての人に仏になる可能性がある」という力強い教えが書かれたお経。そのメッセージに心をうたれて唱えるのが「南無妙法蓮華経」です。
好きなアーティストの歌を、その世界に浸って心から歌う気持ちに近いのかなって思います。
3.南無大師遍照金剛(なむ だいし へんじょうこんごう)

これは、「南無」+「遍照金剛」で、遍照金剛とは弘法大師(こうぼう だいし)のこと。弘法大師と言えば、たしか日本各地に逸話ののこる偉いお坊さんですよね。
唱えているのは主に真言宗の方たちです。
アミダ様と違い、弘法大師は実在した日本人で、平安時代に日本に密教を伝えた人です。「空海」という名でも有名です。
大師様は「生きたまま悟られ、今も修行し続けている」と信じられていて、高野山ではなんと毎日、修行中の大師様のために食事もお供えされています。
人々を深い精神世界へと導く存在として長い間尊敬され、愛されていて、その気持ちを表わす言葉が「南無大師遍照金剛」です。
4.南無釈迦牟尼仏(なむ しゃかむにぶつ)

いよいよ満を持してお釈迦様の登場です。お釈迦様なくして仏教は語れません。なぜなら仏教の創始者だからです。
あれ?アミダ様が最高じゃないの?と思うかもしれませんが、アミダ様は実在の人物ではありません。
一方でおシャカ様は紀元前5世紀ごろ、インドに実在した人物です。
すべてを捨てて厳しい修行の末に悟りをひらいた人類最初の仏さまです。
おシャカ様が語った教えの中で、人びとにアミダ様などの存在も紹介されてきました。
仏さまは時空を超えて存在するとしても、人びとにとっての仏教はここから始まったとも言え、その始点におられるお釈迦様自体に心を寄せる言葉が「南無釈迦牟尼仏」となります。
四つの南無、現代語訳してみたらこうなった

次にそれぞれの南無について、より身近に感じるにはどう訳せばいいか、意味を集約して考えてみます。あくまでもブログ管理人の、ちいさな机上の提案ですので、賛同なさらない方もおいでかと思いますが、ご参考までに。
南無○○、それぞれの現代語訳
1.南無阿弥陀仏は…
アミダ様が、ただ信じるだけで極楽へ連れて行って下さることを称えます。
その器の大きさに、ほんの少し甘える気持ちも欲しい所です。よって、たとえば以下のような訳はどうでしょう。
南無阿弥陀仏=ア・ミ・ダ・さ・ま♡、よろしく。
2.南無妙法蓮華経は…

こちらはお経そのものへの信心です。
この発想は他と比べてやや変わっているので、何に感動したのかを強調し、またこのことに今気づいたのだという、喜びの瞬間性も欲しいです。よって
南無妙法蓮華経=なにこの教え…これ感動なんだけど!
3.南無大師遍照金剛は…

弘法大師への信心です、お師匠さまへの熱い思いがポイントです。
悟られていながら、なおも修行をされる大師様は、きっと近くて遠い存在です。そんな師を胸のうちにいつも大切に思い抱きながらも、遥か彼方にも感じてしまう、心の遠近感を表現します。よって
南無大師遍照金剛=わが師…、空海先生…!
4.南無釈迦牟尼仏

お釈迦様への信心ですが、これぞ原点という思い、ストイックな修行のカリスマに憧れて、自分も全力でついて行きたいという、こちら側の、息せききった突っ走る勢いも必要かもしれません。よって
お釈迦様すっげ!かっけ!まじリスペクト…!自分、ついて行きますッ!
南無阿弥陀仏の意味、まとめ
はかり知れない深遠な仏教の世界は、時代を超えて、多くの人の心のよりどころとなってきました。
長い歴史のある祈りの言葉や美しいお経は、日々の作法とともに受け継がれ、今の日本文化のいたる所に静かに息づいています。
「南無」という一言の中には、誰かを信じ、より良く生きようとする思いがこめられています。その気持ちは、現代の私たちが何か、あるいは誰かを熱く思い、信じるものと変わりません。
この信心を遠いものと思わずに、まるで息をするように、身近で自然なものと受け止めたいものです。

最後に、各「南無○○」の現代語訳をまとめておきます。
この一覧で比べれば、うっかり間違った名前で仏さまを”推し”てしまう心配はなくなりますから、ちょっとわからなくなったら是非、つど確認してみてくださいね!
言葉 | 現代語訳 | 主な宗派 |
---|---|---|
南無阿弥陀仏 | 阿弥陀様にすべてお任せ | 浄土宗・浄土真宗 |
南無妙法蓮華経 | お釈迦様の教えにバンザイ | 日蓮宗 |
南無大師遍照金剛 | 空海さんに弟子入り希望 | 真言宗 |
南無釈迦牟尼仏 | 我は行く、修行の道へ仏門へ | 禅宗など |
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※当ブログは、管理人が自身の調査と個人的な思考を交えて書いております。記事の内容に誤りや不適切な表現が含まれている場合もございますが、その際はご容赦いただけますと幸いです。当ブログはあらゆる信仰や生き方を尊重し、すべての方の心に寄り添うことを大切にしています。どなたも軽んじたり排除したりする意図はありません。本記事における現代的な表現も、決して各宗派の教えや尊い存在を軽んじるものではなく、仏教をより身近に感じていただくための工夫としてご理解いただけますと幸いです。