お賽銭、未来への最強の金額

お賽銭の額を、どうやって決めていますか?
たとえば子どもの頃、親から「これをその箱に入れなさい」と、お賽銭箱の前で五円玉をもらったこと、ありませんか?
「これは“ご縁”って意味で、ともだちがたくさんできるよ」
そんな語呂合わせと一緒に、少し特別な気持ちで鈴を鳴らした記憶が、今も残っている人もいるでしょう。
それ以来、神社のお賽銭箱の前に立つたびに、あの記憶がよみがえって、お財布の中に五円玉を探している。もし見つからなければ、「一円でもいいのかな?」と迷ったりして。
あるいは今では自分が親になり、ご縁の説明とともに、お子さんの小さな手に五円玉を渡しているかもしれません。

そんなふうに、お賽銭の金額を「思い出」や「気持ち」で決める方は多いと思います。
それはとても素敵なことです。そのほのぼのとした気持ちは、次の世代へも受け継がれていくでしょう。
だけどこの物価高の時代、神社のお賽銭だけが、このような昔の設定のままで大丈夫なのでしょうか。
一円では大赤字という現実

最近は、スーパーでちょっと食材を買っただけでも、二品、三品で千円は軽く超えてしまいます。
そんな中、町の神社のお賽銭箱に、もし一日1万円、月に30万円が納められていたとしたら、それは「まあまあ、いい額」に思えるかも知れません。
ですが、同じ金額でも、もしそのすべてが“一円玉”だったらどうでしょう?
一円玉って、普段の買い物ではあまり使えませんよね。
かといって、それを銀行に持っていって入金しようとしたら、たとえばゆうちょ銀行なら、30万枚の一円玉を預けるときの手数料はなんと33万円もかかります。
これは完全に赤字です。
金額が問題なのではなく、大量の硬貨であることが問題です。
じゃあ五円玉ならどうでしょう?

30万円分の五円玉を入金する手数料は6万6千円。
赤字にはなりませんが、それでもなかなかの痛手です。
しかも実際には、月に30万円もお賽銭が入る神社なんて、そう多くはありません。
神主さんの生活費、神社の維持費、いろんな出費を考えると、6万6千円の“硬貨手数料”だけでもかなり重い負担です。
それでも、多くの神社はこう言ってくれるんです。
「お賽銭は気持ちでいいんですよ。金額は関係ありませんから。」
みんな、お賽銭をよく知らないという不思議

子どもに「なぜお賽銭を入れるの?」と聞かれて、「お願いごとをするからだよ」と答えたものの、自分でも正しいのかよく分からない。
そんな経験をお持ちの方もあるかもしれません。
五円でご縁、十円で宝くじ……。
神様は安く何でも叶えてくれるみたいですが、それでいいのでしょうか?
実際に調べてみると、お賽銭の意味はいろいろありますが、主な目的は「感謝を表すこと」。そして金額は、語呂合わせが多いようです。
五円=ご縁、十一円=いい縁、などなど。
こうして見ると、日本人の暮らしに深く根付いていながら、お賽銭には「これが正解」というルールはないようです。
とても不思議なことですよね。
でも、実はここにこそ、日本の神さまたちの“らしさ”が現れているのです。
日本の神さま”らしさ”
世界の多くの宗教では、「神」といえば遥か彼方にいて、人間には到底届かない存在です。

でも日本の神さまは違います。
日本の神々は、一緒にお祭りに紛れ込んで踊っていたり、山や海に宿っていたり、人間のくらしに密着して、まるで私たちと横並びに存在してくれるような存在です。
自然の流れ、循環そのものが神様なのです。
ですからこの神々をお祀りする神道には、厳格な「教義」が存在しません。

もちろん、神社という神聖な場所においては、一定の作法や礼儀が大切にされます。
でもそれは、「神さまがそうせよと命じたから」というよりは、「大切な存在に敬意をもって接する」という、ごく自然な礼節の表れであることがほとんどです。
だからこそ、長い歴史のある神社においても、厳密に決まったルールや金額がないまま、人々はそれぞれの「心もち」で参拝してきました。
私たちから見た日本の神さまは、このようにどこまでも自然体です。
寄付やお布施とのちがい

多くの宗教においては、献金や奉納には明確な目的があります。
教会の維持費や慈善活動などに充てるため、「収入の何割を捧げましょう」と具体的に金額が示されることもあります。
また、道端のお地蔵さまの前にお饅頭や小銭を供えることがありますが、これはお布施の一種で、「自分の執着を手放す修行」や「故人の供養」という意味合いが込められています。
けれども、お賽銭は少し違います。
お賽銭とは、神様に近づくための“直接の贈り物”なのです。
昔の人々は、自然の恵みに感謝して、収穫物を神に捧げていました。
それが、現代ではお金というかたちに変わった――それだけのことです。
お金になったことで生じたズレと、そこに見る共通点

収穫物が「お金」になると、その使い方や額面に対して人々の感覚がぶれやすくなるのは、ある意味で当然のことです。
たとえば、木の賽銭箱に硬貨を投げ入れると音が鳴るので、「これで神様に届く」と思う人もいます。
一方で、「捧げものを投げるなんてもってのほか」という意見もあります。
また、「多くの人の手垢がついたお金をあえて手放すことで、神前で心身の“けがれ”を落とすのだ」という見方もあれば、「神様には新品のお金を用意すべきだ」と考える人もいます。
このように、意見はさまざまですが――
どの考えにも共通しているのは、「神様と間近に向き合う」という意識が根底にあることです。
これは、「教義に基づいて功徳を積むための施し」や「社会貢献としての寄付」とはまったく異なる、日本独自の信仰感覚といえるでしょう。
お賽銭は最強の交流・伝達手段
神様との自然な交流
正解がないように思えるお賽銭ですが、それぞれの形で日本人と神様との自然な交流を、確かに取り持っています。
でも神様はお金を使いませんよね。
ならばお賽銭箱に納めさえすれば、本当に金額は「なんでもいい」のでしょうか?

そうとも言えますが、ひとつ理解しておきたい事があります。
それは、実は神様たちは人々の「贈り物」を喜んでくださる存在だと信じられているという点です。
日本の神話を見ても、神々は人間のように、酒を酌み交わし、歌い、踊り、お祭りを楽しむ存在として描かれています。
にぎやかで活気ある日常、それ自体が神様への最高の奉納なのです。
「私は今、どれくらいの豊かさを神様にお伝えしたいのだろう?」
「にぎやかなことが好きな神様に、この楽しさを一緒に味わっていただきたい」
そんなふうに、語呂合わせだけに頼らず、自分の“今の気持ち”と“精いっぱい”を見つめ直す、それがお賽銭を通した自然な神様との対話なのです。
ですから、たしかに幾らでもいいお賽銭ですが、喜びや感謝を最も大切で敬うべき対象に向けて表現するためには、一体いくらがふさわしいか、五円なのかもっと違うのか、選択肢は大きく増えることになるでしょう。
お賽銭は、人々の時代を越えた交流でもある
お賽銭は、単なる「お金のやりとり」ではありません。
それは、今を生きる私たちが、過去や未来の人々と心を通わせるための架け橋でもあります。
いま神社がそこにあるのは、かつて誰かがその場所を守り、祈りを捧げ、支えてくれたからです。
そしてこれからも、未来の子どもたちが神社を訪れ、神様に願いを届けられるかどうか、それは今、私たちがどんな気持ちでお賽銭を納めるかにかかっています。

もし、かつては十分だった一円や五円が、今では神社の維持に足りなくなっているのだとしたら、その現実を、私たちはちゃんと見つめ、受け止める必要があるのです。
お賽銭、未来への最強の金額は100円

物価がどんなに変化しても、神社に行くと当たり前のように「1円」「5円」「10円」といった小銭に手が伸びる。
1円では少し気が引けるからと、財布の中の数枚をまとめて入れてみたり、新品の5円を3枚用意してみたり、いろいろ変化はさせても結局小さなコインの間を行ったり来たり。
銀行への入金には硬貨枚数に応じた手数料がかかる今、その硬貨の多さは、神社に負担をかけています。
たとえ額面が同じでも「何枚で納めるか」はとても重要。
だからもし、「1円でも5円でも、百円でも、なんでもいい」と考えているのなら、今選んでほしいのは、百円玉です。
それこそが、お賽銭における、未来へつながる最強の金額なのです。
まとめ
「百円」は、あくまで未来に向けた提案。
もちろん、それがすべての人にとっての“正解”ではありません。
一円でも、それが今のあなたにとっての精いっぱいなら、そのお賽銭は、どんな額にも勝る価値を持つでしょう。
最強の金額は、最強の心で納められたものです。
それは、お賽銭をいくらにするか、神前に投げるか投げないかといったことも確かに大切かもれしませんが、”流れの中に身をゆだね、感謝し、未来を願うあなたの優しい心”によって差し出されたものなのです。

次のお参りでは、小さな子どもの手にも、未来を見すえたその硬貨をそっと握らせてあげてください。
あなたの心の願いは、きっと、確実につながっていくでしょう。
その子が大人になり、さらにその先100年経っても、おなじ神社の鈴の音が、今と変わらず鳴り響いていますように。
参考資料
神社本庁公式サイト,お賽銭の今と昔
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